2012-01-18

おばあちゃんを竜宮城へ④ 老老にして認認

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 入院中のおじいちゃんも、外出許可をもらって、Cアミーユを見学に来ました。
 おばあちゃんを竜宮城へとか言いながら、実は京都への拉致工作でした。頑固なおじいちゃんに対する陽動作戦でした。妻を返して欲しくばCアミーユへ来い。
 作戦は一応の成功をみました。


 どんな状態になっても住み慣れた自宅を離れたくない。自宅で死にたいと答える老人が約半数という調査結果もあります。うちの両親もそうです。


 しかし、昨年のうちに2度も骨折したおじいちゃん、回復して退院してきても歩行器頼みです。これを自宅で迎えるおばあちゃんは杖歩行。それに加えて、夫婦そろって90歳という年齢です。老人が老人を介護するのを老老介護というそうです。しかたなく老老介護の家庭も多いとききます。けれども、90歳どうしでは、いくらなんでも老老すぎませんでしょうか。


 問題は身体だけではありません。90歳ともなれば頭の老化も進んできます。二人と話していますと、だいぶきたなあという感触です。専門外来を受診すれば二人とも認知症の診断が下されるのではないでしょうか。このようなケース、世間にも多いそうで、認認介護という用語が使われているくらいです。認認介護とは、認知症老人が認知症老人を介護するという意味です。


 うちの両親の場合は、老老にして認認です。これはあかん。ゼッタイにあかん。退院後のおじいちゃんを自宅に帰すわけにはいきません。ケアマネージャーさんや病棟関係者の方に意見を伺いますと、老老もさながら認認のほうが予測外の事態に陥りやすいとのことでした。
 ところが、老老認認のリスクを恐れるのは周りばかりでして、肝心の本人たちはゼッタイにできると言い張ってききません。死ぬまで自宅という欲求。そして、死ぬまで夫婦が一緒という欲求。このふたつが二人を動かしています。


 正月明け、伊賀さくら苑という老健から、入所できますとの連絡を受けました。老老認認による夫婦共倒れを避けたいから伊賀さくら苑に入ってくれとおじいちゃんに頼みました。しかし、おじいちゃんは頑として拒みました。
 こうなると、病院にも置いてもらいにくくなります。施設に空きができたのに行かなかったわけです。病棟を施設代わりにして居座り続ける行為にも等しい。そんな患者は社会の迷惑です。もちろん病院がそんな露骨な発言をするはずありませんが、退院を、それとなくながらも、促され始めました。


 にっちもさっちもいかなくなりました。
 そこに浮上してきたのがCアミーユでした。二人そろって入居できます。二人の欲求のうち自宅で暮らすほうは満たすことができません。けれども夫婦がひとつ屋根の下、自宅同様気ままに暮らせます。
 なんとしてもこれでキメよう。ここが正念場。私と姉は決意を新たにしました。私がおばあちゃんを京都へ拉致した三日後、東京から姉がやってきました。病棟のおじいちゃんを説得するためです。


 こうした流れです。おばあちゃんを拉致する必要がほんまにあったのか。ようわかりませんけど、やりました。
 「おばちゃん、だいぶボケはったわ。家で独りでいはるの、もう危ないと思うわ」と従姉妹から聞いていました。



 Cアミーユでは、井川さんと積田さんに案内してもらいました。
 井川さんがおばあちゃんに寄り添う、積田さんがおじいちゃんに寄り添う。そういう役割分担がおのずとできているようでした。


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 内部見学を終えてから、賃貸システムや介護サービスなどの説明を受けました。
 「おじいちゃん、どうや?入ってみるか?」とうちの姉。
 おじいちゃんが答えました。

 私は耳を疑いました。ごやっかいになるということは入居するということです。
 このいきなりの雪解け。いったい何がどうなったのでしょうか。ここにきちんと書けるほど頭のなかが整理されていません。


○この前夜、病棟の看護士長さんが、第三者の視点からおじいちゃんを説得してくれた
○Cアミーユの積田さんがおじいちゃんの言葉に耳を傾け、おじいちゃんの自尊心を満たしてくれた
 他人さんのこのような力添えがあってこその展開だったと思います。ありがとうございます。


 そして、もうひとつ挙げるならば、これです。伏見稲荷大社への初詣。私の妻お龍を包むナゾの閃光。お稲荷さんが下りてきたのだと、親戚のおばさんは言います。
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