2012-02-27

番外編:原発タウンのひなまつり(若狭高浜ひなまつり) ①

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 江戸時代後期、幕末の頃と目される雛人形。福井県大飯郡高浜町事代の館太正(たちだ ただし)さんのお宅で拝見しました。


 お内裏様とお雛様の後方に見えるJazzのLP盤は、ミッチ・ミラー楽団です。館太正さんは京都市内の丸紅ビル(いまのCocoon烏丸)にお勤めだったそうでして、その頃に買われたそうです。京極に美松ダンスホールがあった時代だとのことです。
 ミッチーのレコードはいまは本当に珍しいと館太さんがおっしゃるので、「ミッチーって、三橋美智也ですか」と言ったら、残念、冗談が通じませんでした。
 館太さんは、福井県を代表する歴史研究家であり、骨董品収集家です。生き字引と地域では呼ばれています---と、実はいま知ったばかりでして、たいへんえらいお方にアホなことを言うてしもたもんです。


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 そんな館太さんが展示される雛人形ですから、他にも、明治初期、大正後期と、時を経たものぞろい。毎年出し入れするうちにお雛様の頭を飾る宝楽の細工が壊れていくとおっしゃっています。展示中の雛人形の顔は漆塗りです。漆でしか出せない鮮やかさがあるとのことです。


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 これらの雛人形を拝見したのは、このような福井県の伝統的古民家。表玄関から裏口に至るまでさまざまな骨董品が並んでいます。家全体が資料館になっています

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 軒下には、これまた懐かしい年表が。小学校の頃、教室の前、黒板の上には、必ずこのような年表が貼ってありました。


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 申し遅れました。今日は、福井県高浜町の若狭高浜ひなまつりにやってきました。2月15日から3月3日まで開催されます。今年で8年目を迎えたこのイベント、「ひな人形ロード」とも呼ばれています。雛人形を飾ってあるお家の前には、必ずこのピンクののぼりが立っています。このピンク色を目印に道を行きます。雛人形を出しているご家庭は95軒もあるそうです。


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 雛人形の隣には、こんな風に、娘さん・お孫さんの名前や写真が並んでいることもあります。私の孫の聖太郎は男です。次の孫はちんちんなしで生まれてきてくれませんかねえ。


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 若狭高浜ひなまつりは、商店街活性化の一策として始まりました。本町商店街の浜瀬昇三さんに少しお話を伺いましたところ、最初は本町の16軒だけで始めたイベントだったそうです。商店街がさびれていくいっぽうだし、何かやることはないかと考え出したのが、もう飾らなくなった雛人形の再活用でした。始めた当初はピンクののぼりまで手が回らず、この質素な手作りのシンボルが参加家庭の目印だったそうです。


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 こちらが浜瀬さんのお店に飾られた雛人形です。


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 浜瀬さんのお向かい横田さん。昭和28年の雛人形をはじめ、初節句の着物など、商店街のかつての賑わいかくぞありなむといった風情です。


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 旧丹後街道と呼ばれる町の道をぶらつきながら、さっきの浜瀬さんの言葉を思い出していました。商店街がさびれていく?
 高浜町といえば、あの震災以後、関西電力高浜原発で全国的に有名になった町です。莫大な補助金のみならず、原発がらみの様々な受注が町に落ちるのは周知の事実です。小売業が立ち並ぶ商店街もその恩恵に授かっているものだと思っていましたのに、実態はそうでもなさそうです。「原発があってもさびれるんですか?」と、尋ねるのを忘れました。
 商店街の繁盛が原発の恩恵の外にあるのだとすれば、原発で潤うのは限られた業種だけなのかもしれません。以前、高浜町のフィリピンパブGalaxyで、店のフィリピーナたちが言うところの「シャチョーさんParty」なるものを見ました。地元運送業者の集まりの二次会でした。そのときの幹事の挨拶から原電関連の仕事を請け負っている業者の集まりであることがうかがえました。運送業、建設業、飲食業などが原電マネーで繁栄できるであろうことは想像に難くありません。
 そして、今日の発見。おそらく宿泊業も、原発関連の需要が大きいのだろうと思います。さびれかけた商店街とは対照的に、構えの立派な旅館が目立ちました。しかも、旅館の数が、人口わずか1万人ちょっとの町には似つかわしくないくらいに多いことを知りました。


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 旅館は多いのに、医院と病院が見つかりません。社会保険高浜病院を見つけましたが、常勤医師数は数名です。人口や平素の需要を考えればこれでいいのでしょうが、なにせ高浜は原発タウンです。いざというときへの備えとしてこれでいいのかなと思いました。原発に万が一の事態が起きたときには自力で救急を賄えず、隣接する舞鶴市や小浜市が救急患者を受け入れることになるのでしょう。原発の危険だけを隣町に分け合わせておいて、緊急時医療まで隣町に依存でしょうか。こんなところにも、万が一は起こらないの安易な前提を見た気がしました。



 でも、そんな辛口批評を忘れてしまうほど、高浜は原発タウンだという事実を忘れてしまうほど、町の人たちは気さくで、そしてあたたかでした。雛人形を飾り他人を家の中に迎え入れようというイベントですから、オープンな気質と風土抜きには実現しなかったはずです。歴史を感じさせる町並みのおひなさま。とてもみやびです。
 本庄さんのお宅に入らせてもらいました。


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 本庄さんは折り紙で雛人形を自作されるのが得意な方らしくて、「旅行読売(2011年3月号)」の特集記事にも紹介されていました。


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 本庄さんのお宅では、90年前の雛人形も見せていただきました。


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 うちは90年前だけど向かいの休憩所には100年前のものがあるからぜひ見ていけと本庄さんに勧めてもらいました。温かい甘酒もあるから飲んでいけばいいと誘っていただきました。寒の戻り。気温3度でした。


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 本庄さんに教えていただきました。雛人形も飾り棚も、何もかも最下段の木の箱に収納できる仕組みだそうです。


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 京都からいらっしゃったのなら、京都にはもっと古くて立派な雛人形があるでしょうと本庄さんは言います。おそらくそうでしょう。けれども、京都にはあたたかな人情がありません。高浜の人情は雛人情です。
 下の写真が、本庄さんの折り紙雛。いちばん難しくて手がかかるのは五人囃子だそうです。ひとつずつ姿を変える必要もありますし、手先の方向も異なるからだそうです。


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 まだまだ続きますが、今夜はここまで。風呂入りますわ。

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