2012-09-02

雲粋 (福井県吉田郡永平寺町) 永平寺蕎麦

おろし蕎麦。850円。この店は三味蕎麦も看板商品。 


 3時を回っての昼食。さあ、困った。開いてる店か・・・

 いっそのこと永平寺。観光客相手に蕎麦屋さんが店を開けているにちがいない。


 永平寺に近づくに連れて、店選びに困り始めました。蕎麦屋の看板が次から次へと現れます。
 駐車場の車の台数で決めよう。多いほど評判のはずや。

 台数が目立ったのは「雲粋」でした。7台か8台ありました。



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平日の3時。いくら永平寺でも、蕎麦屋は混んでいません。



 こんにちわ!
 店に足を踏み入れたら客はゼロ。あの車、従業員やったんかあ。
 
 けれども、席に座ってから、ここを選んで大正解だったと気づきました。

 メニュー立てに雑誌「一個人」が立ててあります。
 特集が「こだわりの本格蕎麦」。2008年発行でした。

 そのなかで日本全国の寺方蕎麦が紹介されていました。
 永平寺ではこの「雲粋」が選ばれていました。


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雲粋を紹介する記事。蕎麦、出汁、おろしの絶妙の組み合わせを褒めている。




 その紹介記事は、永平寺に寺方蕎麦はないことをまず伝えていました。寺方蕎麦というのは、寺の僧侶が手がける蕎麦のことです。

 精進料理主体の寺院の献立のなかにあって、蕎麦をおいしく食べたくなるのは当たり前ということで、僧侶の試行錯誤を介して蕎麦の料理法や味が発達していったそうです。

 それがやがて、蕎麦の伝統的調理法として寺院外にも拡大し、有名寺院門前に寺方蕎麦の名店が生まれるようになりました。

 しかし、永平寺の蕎麦は寺方に起源をもたないと、この紹介記事は言います。

 福井県の場合は、室町時代の朝倉氏が戦場の非常食として蕎麦を活用したのが始まり。
 時代が下った慶長年間には、武生城主が蕎麦職人を集めて生産量増大に努め、蕎麦の実用化が進んだそうです。
 福井県名物のおろし蕎麦が生まれたのもこの頃だと書かれています。

 さて、この「雲粋」のご主人は、金沢と福井県内で日本料理の修業を10年間積んできた方だそうです。開店したのは2000年。

 師匠について蕎麦打ちを学ぶと独自色を出せないと考えて一から十まで独学を貫いて開店に至ったといいます。



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 おろし蕎麦を食べました。
 ふたつのお皿に分けられて、片方にはけずり節、もう片方には焼き海苔がトッピングしてありました。
 トッピングの違いくらいで二つの皿に分ける必然性をあまり感じませんが、食べた味はたしかに異なりました。私は焼き海苔のほうが好きでした。

 私は大根の辛さを充分に感じました。
 けれども、店の奥さんは、うちは辛さをこれでも抑えてあるほうで、まだ辛いのをやろうと思えばやれると言います。

 大根は、辛味大根でもなく普通の大根でもなく、夏大根という品種だとのことでした。夏大根だから辛いのだそうです。
 いまインターネットで調べましたら、春に種をまいて夏に取り入れる小ぶりで細い大根だと書いてあります。奥さんが言ったとおり、辛味の強さが特徴だそうです。

 おろし蕎麦を注文しておきながらおろしだけ残す客もいると奥さんから聞きました。辛いから残すそうです。こんなに辛いとは思わなかったというのが残す理由です。
 そういうケースに出会ううちに、ただ辛いだけでもよくないのかなと考えたそうです。

 日本料理を修業していたというご主人の経歴ゆえか、かけ汁が女性的で上品でした。ひと口め、ふた口めくらいは、そのしなやかさがおろしの辛さにドンピシャだと感じられませんでした。
 けれども、そのうちに、店の狙いがなんとなく分かった気になりました。角を立てたくないという感じでした。

 柔和な味だけに、蕎麦湯で割って飲んだときのおいしさが印象的でした。

 蕎麦を食えば、わきもとのおやじさんを必ず思い出します。あのおやじさんは蕎麦自身の香りや味わいを引き出すために手間を惜しまなかったのだと、よその蕎麦を食べるたびに思います。



 永平寺には外から手を合わせておきました。

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 團助胡麻豆腐を買いました。

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