2012-09-07

梅花藻と伊吹艾(ばいかもといぶきもぐさ) 醒ヶ井・柏原(滋賀県)

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 近江は、古くから交通の要衝と位置づけられてきました。それだけに、近江の「実効支配」をめぐって、戦国武将のせめぎあいが絶えなかった土地でもあります。

 今回の滋賀県米原市には、東海道本線、東海道新幹線、北陸線、国道8号線、名神高速道路、北陸自動車道、すべてが通っています。
 それら現代の動脈が忙しさの圧力で流れるのとは裏腹に、静脈血が受動的に流れるが如く、中山道の面影がいまも人の生活に寄り添っています。
 
 近江が大好きだった司馬遼太郎さん。その著作「近江散歩」に触発されて、中山道の醒ヶ井宿と柏原宿に立ち寄ってみました。



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醒ヶ井宿の梅花藻


 梅花藻の花は7月~8月が旬。9月は最後のチャンスです。
 けれども、シーズンが過ぎて観光客が減る9月は、宿場町の街道に落ち着きが戻ります。それを考慮すれば、9月がいちばんの好機かもしれません。

 滋賀県米原市の観光情報サイトは、http://www.maibarashi.jp/

 梅花藻は地蔵川に育ちます。地蔵川と名前には川がつきますが、実体は湧き出したばかりの清澄な水が流れる用水路です。

 鈴鹿山脈の北端に位置する霊仙山(1094m)は湧き水の豊かな山で、霊仙山を母体とする地下水が宿場町のなかに湧き出ています。石灰岩地質の霊仙山には大きな洞窟があって、洞窟内には水がこんこんと湧き出る泉があるともいわれています。

 山の渓流よりもまだ清冽な水に恵まれた醒ヶ井。やはり湧き水で始まる丹生川(にゅうがわ)には、日本最古の養鱒場である醒ヶ井養鱒場があります。

 町中の湧水源に建つのが加茂神社です。神社の石垣の最下層から地表に顔を出した水によって地蔵川が始まります。

 湧き出た水は、中山道醒ヶ井宿の街道にぴたりと寄り添って流れます。麦茶を入れたやかんが冷やしてありました。生活にも役立っていることがうかがえます。

 湧き出たばかりの水の透明さを言い表すにはどうすればいいのか。外国にはジンクリアウォーターという表現があります。でも、ここの水はそんな針のようにとんがった透き通り方ではありません。守り育てられてきたやわらかさとやさしさがあります。

 湧き水の水温は年間を通して12度~15度だそうです。レッドリストに登録されているイトヨが生息する水域でもあります。


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湧水源の加茂神社。石垣の下から静かに湧き出しています。

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梅花藻と湧水だけでも美しいのに百日紅までもが水辺を飾って。

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醒ヶ井宿を行く旧中山道。似つかわしくないことですが、実はこの旧街道のすぐ裏手を名神高速道路が走っています。高速道路は神経を荒くしなければ通れないと、司馬遼太郎さんは書いています。


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加茂神社近くの「たち季」でコーヒーを飲みました。


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橋のたもとにこんな食料品店がありました。

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冷たい湧き水が家の裏を流れます。その贅沢さが贅沢ではないという贅沢さ





霊仙山の登山犬、マック(花ちゃん)

 JR醒ヶ井駅前から国道21号線を横切ってすぐ、「かなや」という喫茶店でカレーライスを食べました。
 スジ肉入りでとてもおいしいカレーライスでした。
 チチンプイプイやTen!でも取材に来たといいますから、よく知られた店なんだろうと思います。


 

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喫茶和洋食料理屋という看板。かなや。

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スジ肉入りのカレーライス。でも、目玉商品ははニジマス料理。




 霊仙山の登山客たちが壁にメッセージを書き残していました。「福寿草と花ちゃん(いまはマックですね)に会いにまた来ます」というのを見つけました。

 花ちゃん(いまはマック)というのは、霊仙山の名物ワンちゃんだそうです。

 霊仙山の登山道口に榑ヶ畑(くれがはた)という廃村があって、「かなや」はそこで山小屋を経営しています。「かなや」のおばあさんはその山村で生まれ育ったそうです。

 山小屋では霊仙山の冷たい湧き水に飲み物を冷やして売っています。その飲み物売り場にしょっちゅうやってくる野良犬がいて、「かなや」はその犬をマックと呼び始めました。

 人なつっこい犬だし、いったいどういうわけなのか。登山者たちのブログを見ていくうちに、犬好き登山者たちには花ちゃんという名前で知られていることがわかってきたそうです。

 マック(花ちゃん)は、登山口から頂上まで、登山者の先を行ったり後ろを追いかけたりしながら共に登るそうです。そして、登山者の下山にまた登山口までつきあう。かしこいわねえとお菓子をもらう。

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 お利口な登山犬マック(花ちゃん)の写真や霊仙山の景観が、このブログhttp://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-106069.htmlに掲載されています。上の写真でマックの鼻をクリックしてもリンク先へとべます。



柏原宿 伊吹艾(もぐさ)の亀屋左京商店

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亀屋左京の店構え。この道筋に中山道の面影を残す家屋が並びます。

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安東広重が描いた亀屋左京の絵がそのままパッケージになっています。

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やいと初心者の私にはこのタイプが使いやすいそうです。もちろん本格派用もありますが、やり方を間違えると跡が肌に残りやすいとのことでした。59歳でやいとの跡はまだ早いし。



 柏原(かしはら)の次の駅は岐阜県の関が原。柏原は国境近くに位置する宿場町です。

 滋賀と岐阜の境界線にある寝物語という地区を訪れた司馬遼太郎さんが、彦根への途上で柏原の亀屋左京に立ち寄りました。
 亀屋左京は、伊吹山の蓬(よもぎ)を原材料にお灸の艾(もぐさ)を製造販売してきた店です。

 「単一商品を扱う商家としてはあるいは日本最古の家であるかもしれない」と司馬遼太郎さんが評した建物の中で、お母さんと息子さんが艾の箱詰め作業をなさっていました。店の外側に吊り下げられたよしずが、部屋の中に日陰を生み出していました。

 店内は撮影禁止です。

 お二人ともが正座をなさって、とくにお母さんのほうは、ずっと受け継がれてきたであろう手作業で艾をきちんと揃えておられました。
 お二人の背中を、大きな福助人形が見守っています。

 近江商人。近江八幡の八幡堀ではどこをどう探しても見えてこなかった近江商人の実像。それを目の当たりにした心境でした。

 通販、そして流通ルートを介しての販売がほとんどなのか、店構えとは不釣合いすぎるほど、店頭には商品が置かれていません。地商いではなくて、外へ外へと出て行く経営方針が近江商人に共通の成功要因です。

 司馬さんがいらしゃったのはもう30年くらい前になるだろうと、お母さんがおっしゃいます。「おじいちゃんはもう亡くなったしね」とそばにいた息子さんと年数を確かめ合っておられます。

 あなた中学生だった?
 いやいや、もっと小さかった

 司馬遼太郎さんは、この店の近江商人としての才覚について書いています。話は江戸時代まで遡ります。

 松平定信が老中だった時代、1758~1829年、松浦七兵衛という男が柏原から江戸を目指しました。伊吹艾の行商です。

 江戸での松浦七兵衛は、売れた利益で吉原通いを始め、芸者を揚げ、太夫を買い、すっかり吉原の評判男になったそうです。
 その頃合を見計らって、芸者たちを集めて酒宴を開きます。その席で、これから毎日、伊吹艾の短い歌を座敷で歌ってもらえないかと芸者たちに頼みました。

 歌の文句は、「江州柏原 伊吹山のふもと 亀屋左京のきりもぐさ」だったそうです。

 当時の吉原は流行の発信地的役割も担っていたと司馬遼太郎さんは言います。
 この歌で亀屋左京の艾の話題性が一気に高まり、七兵衛は大きな富を得て郷里に戻りました。七兵衛の成功が、現在まで続く商売の礎を築いたわけです。

 今日、私は、亀屋左京で艾(もぐさ)を買いました。江戸時代のCMソングで平成の59歳がその気になりました。

 左側の五十肩に数ヶ月間悩んでいます。福知山を離れ、なかむら整形も遠くなってしまいました。中村先生からストレッチを一生懸命にやりなさいとアドバイスされましたが、先生の目力だけで治りそうな気もしていました。

 亀屋左京商店で「やいとは五十肩にもいいですか?」と尋ねたら、「効く人には効きますよ。揉んでみて気持ちがいいところとか、そういうところにしてみてください」との答でした。
 自分が効く人のなかに入るのを願うばかりです。





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天の川と伊吹山(1337m)。薬草が豊富な山として知られている。

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街道沿いの旧家はいずれも奥へと距離が長く、大きな庭を伴っている。

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吉村公三郎監督の郷里であることを司馬遼太郎さんも書いていた。

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柏原の町並みを外れて番場宿へ移動し始めた。柏原近くの並木道。番場は、長谷川伸作「瞼の母」の舞台となった。番場の忠太郎である。



付け足し:やいと、やってみました。

>1本の時間は90秒くらいです。50秒くらいから熱さが増してきます。もっとも熱い時間が80秒くらいまで続き、熱さがすっと消えたときに90秒経っていました。
熱すぎると感じた場合はその時点でやめておけと書いてあります。
効き目のほどは、まだ1本ですから、何もわかりません。



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