2013-03-17

さよなら183系(福知山) 3月15日、ラストランの日に

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 JR西日本の特急「はしだて号」や「きのさき号」として、京都~福知山~丹後(天橋立・宮津)の間を走っていた国鉄183系の車両。平成25年のダイヤ改正にあわせて、この3月15日で現役を引退しました。


おはようとさようなら

 京丹波町和知の暮らしは、由良川と山地に挟まれています。
 川が曲がりくねるまま、山がせり出すまま、地形に逆うことなく集落が位置しています。
 川から山へと、由良川の河岸段丘のなだらかさを緩衝材のように挟みながら、地形は次第に高くなっていきます。河岸段丘を上り下りするための坂道も、やはり地形に応じて交差を繰り返しています。なだらかとはいえ歩幅ごとに高くなる土地です。楽ではありません。

 JR山陰線和知駅は、川から20メートルほど上った場所にあります。
 3月15日、朝8時前、和知駅近くの坂道に私は立っていました。

 晴れた朝です。青空が建物に切り取られています。
 狭い青空を背景に、黄色い帽子が並んで坂道を下りてきます。登校の子供たちです。数人ずつ、地区ごとのグループに分かれて、近づいてきます。どのグループのどの子も、すれ違いざまに「おはようございます」の声を残していきます。
 坂を下りるみんなの靴音がパタパタパタパタ。

 私は由良川の方向を見ています。「あ、どうも、おはよう」と挨拶と笑顔を返したらすぐに、由良川にかかるJR鉄橋に視線を戻します。

 7時42分に福知山駅を発車した特急きのさき6号京都行きが、7時52分に綾部駅を出ているはずです。園部駅には8時28分到着です。
 いま私がいる和知は、綾部~園部間のなかでも綾部寄りの山村地区です。そこの由良川鉄橋を列車が通過するを待ち受けています。
 いつ通過するのか。8時過ぎでしょう。8時10分以前だと思われます。油断していられません。撮り損ねればやり直しがきかない。今日が最後の183系きのさき号の6両編成すべてを画角に収めたいのです。それに適した撮影スポットが、和知の由良川鉄橋です。

 私の他にもうひとり、きのさき6号を待っている男性がいました。私みたいに、いまだけのにわかマニアじゃない。筋金入りの鉄道マニアです。その証拠にきちんと三脚を立ててカメラをセットしています。

 男性の両足は、春の草が芽吹き始めたやわらかな斜面にあります。そこに三脚を立てて、ビデオカメラとの二刀流で狙っています。地面がすべるのか、長靴で足下を固めています。準備万端です。それでも早春の斜面は若草なみのもろさです。三脚も倒れそうですがオッチャンも倒れてしまいそう。どっちが倒れても水の泡です。

 しかし、その男性は、まったく別の心配をしていました。

 6両編成の最後尾まで日光が当たるだろうか。6両目の端が日陰に入ってしまわないだろうか。

 山間地ですから、朝のこの時間帯にはまだ光の届かない場所があります。鉄橋はすべて快晴の光のなかにあります。しかし、たしかに、鉄橋の北端に暗い日陰がありました。そのシャドー部に列車の最後尾だけ残ってしまう可能性があります。さすがマニアです。写真への心配りが行き届いています。

 おはようございます。今日は、なにか、珍しい電車が通るんですか?

 男の子の手を引いた若いママが、私たちに尋ねました。保育園への道すがらでしょう。

 あ、古い型の特急列車が、今日で引退なんです。ねえ。

 私は短く答えて、「ねえ」でマニアの男性に答を振ろうとしました。けれども、マニアの男性は穏やかに微笑んでいました。微笑みのなかで、聞き手は素人さんだ、そんなもんでよろしいと言っているようでした。

 カタコン、カタコン、カタコン、カタコン。
 木々に覆われて見えない方角から列車の音が聞こえてきました。JR山陰線も、河岸段丘が生み出した平坦な地盤を頼りに敷設されています。川が曲がるままに、山がせり出すままに、です。地形に逆らっていないから、車窓からの景色がおもしろい。車窓の景色がおもしろい場所では、走り過ぎる列車の姿を眺めても楽しい。絵になる。

 もう、来ますね。

 マニアの男性が、右目をカメラのファインダーにくっつけ、チッ、ピッ、パッと、レンズをミリ単位でいじりました。その緊張感をまるで自分のことのように感じてしまいます。

 カタコンの音は、列車の接近にあわせてどんどん大きくなってきました。音が大きくなっても姿は見えません。
 見慣れたあの玉子色と赤色の姿が、いきなり現れました。鉄橋北端が日陰ですから、ちょうどトンネルから出てきたのと同じです。
 ゴーッ。現れた途端に、カタコンのレール音が鉄橋を渡る音に変わりました。

 いったい何秒間の出来事だったのか。3月15日のきのさき6号は、おはようと言いながら現れて、さようならと言いながら去っていきました。
 液晶画面にいま撮った列車の姿が2秒ほどプレビューされた後、生の風景に戻りました。見えるのは空っぽの鉄橋でした。

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 グッときてしまいましたわ。
 よかったですねえ。

 そんな短い会話を、マニアの男性と交わしました。
 あの男性の心配どおり、6両目の最後尾が日陰に残ってしまいました。










ありがとう183系


 その日、夜の福知山駅では、「183系ラストランセレモニー」が行われました。

 183系車両は、山陰本線、福知山線、北近畿タンゴ鉄道で、25年間にわたって活躍してきました。とくに冬場はカニの客を運びまくりました。
 183系は、北近畿、はしだて、きのさき、こうのとりといった特急列車として運用されてきました。多くの方が一度は乗ったことでしょう。
 国鉄がJRに変わったのが1987年4月1日。今からちょうど25年前です。平成も今年で25年を迎えます。そして、183系が25年間の現役生活に終止符を打ちます。25という年数に何かの縁を感じる話です。

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 この夜、福知山駅の1番線と2番線に、2本の183系特急列車が停車していました。こうのとり26号新大阪行きと、きのさき10号京都行きです。

 両列車は19時20分過ぎに福知山駅に入ってきました。
 こうのとり26号は、19時26分に2番線を出ます。
 はしだて10号は、19時29分に1番線を出ます。
 入線から発車までの数分間、183系のツーショット状態です。
 もちろん、普段でもその運行なのですが、ラストランセレモニーの今宵にかぎっては願ってもないシチュエーションです。
 並ぶ2台を正面から見たとき、鼻があり、目があり、口があるように思えました。機関車トーマスを思い出します。もの言いたげだな183系でした。

 セレモニーでは福知山市長の松山正治さんが来賓の挨拶をしました。福知山市のドッコちゃんと大江町の酒天童子もやって来ました。さらには、福知山工業高校のジャズ吹奏楽部マンボウが「A列車で行こう」など3曲を披露しますし、なにかこう、JRのみにとどまらず、福知山市民にとっての一大事のようでもありました。

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 JR西日本福知山支社長の土肥弘明さん(上の写真)の挨拶には複雑な心境がよく現れていました。
 国鉄時代からなじみ深い183系ですから、昔を知る人であればあるほど、名残り惜しさを語り尽くせないはずです。支社長も新しい人ではありません。挨拶が進むうちに、去り行く183系への賞賛にどうしてもいってしまいがちに見受けました。その都度、明日から走る287系もいい車両ですからぜひよろしくと必ず付け加えます。心が鉄道マンと支社長の間を行き来していたのではないかと思います。
 そんな挨拶を聞きつつ、空気の読めないドッコちゃんは笑ったまま、辛い過去を持つ酒天童子は神妙な面持ちです。

 ホームには、多くの鉄道ファンが集まっていました。渋谷東横線の最終日に集まった人の数とは二桁も三桁も違いますが、とりあえずおさえておくべきイベントとして参加したような付和雷同型はひとりもいなかったと信じたいところです。

 駅長さんが姿勢を整え、背筋を伸ばし、安全確認終了の合図を送ります。発車ベルのなか、福知山工業高校の演奏が「いい日旅立ち」に変わり、最後の1本、はしだて10号がホームを離れていきました。

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