2013-06-11

菊水飴(滋賀県長浜市余呉町) 昔ながらの水飴、中味は麦芽糖

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 賤ケ岳合戦で知られる余呉町は、かつての北国街道沿いに位置します。

 北国街道は滋賀県米原から新潟県直江津を結ぶ長い道ですが、余呉町だけにスポットを当てれば、近江側の北国街道最北集落であり、峠を越えればそこが越前という国境でした。宿場は隣接する木ノ本にありましたので、おそらく余呉は通過地点だったと思います。それと同時に、真言宗・菅山寺の門前町でもありました。

 昔の旅人もふとここに立ち寄り、水飴を買い求めたことでしょう。北国街道当時の道幅そのままの道路に面して、菊水飴本舗があります。


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 何度もテレビ番組で取り上げられましたから、それに釣られて来店する客も少なくありません。

 「店はこんなもんだったんですか」と落胆するお客さんもなかにはおられる。店主の平野さんはそう言います。テレビ番組のカメラワークが巧みすぎるがゆえに、見る者の頭のなかでイメージがどんどん膨れ上がってしまうからです。

 テレビが世間に間違ったイメージを浸透させてしまうことについて、実は平野さんはもっと別のことを強調なさってました。

 それは、余呉が日本有数の豪雪地帯、滋賀県でいちばん雪の多い土地という世評です。
 「ここに雪が降らんとは言いませんよ。そんなことは言いません。そやけど、滋賀県で一番やありません。一番は伊吹です」

 昭和56年の56豪雪報道で余呉町の間違ったイメージが世間に広まってしまったと、平野さんは言います。

 あの豪雪のとき、伊吹の雪がスゴいというので、報道陣は伊吹へ取材に走ったそうです。ところが、伊吹は雪が積もりすぎて車で入っていける状態ではなかった。これではニュースにできない。そこで取材の矛先が急遽余呉町に向けられました。

 これが、菊水飴本舗を訪れた者ならではの平野情報というやつです。取材関係者が、余呉に変更した理由を、平野さんに話していたのです。平野さんは次のように言います。

 伊吹は車で入れなかったくらいに雪が積もっていた。だからこちらへ来た。ということは、どういうことか。余呉は車がちゃんと通れたということに他ならない。
 車が通れるのに豪雪の地か? 車が通れた余呉と車が通れなかった伊吹、いったいどちらが滋賀県一の豪雪地か?

 けれども、テレビは、余呉はすごい雪ですの趣旨に合いそうな場面を選んで豪雪の映像として流した。何も知らずに見た人は、余呉とはなんと雪の多いところかと当然のことながら思った。その印象がそのまま固定されてしまった。

 「何度も言いますが」と、平野さん。

 本当にいちばん多かったところは多すぎて取材できなかった。ゆえに、こちらが一番になってしまった。

 なにやら繰り上げ金メダルみたいな話です。

 余呉は決して滋賀県一の豪雪地ではない。お客さんも、家に帰ったら周りの人たちの考えを修正してくれ。そう頼まれましたので、いまこれを書いています。

 平野さんのお気持ちは痛いほど分かります。
 この段になって言うのもなんですが、56豪雪のとき、余呉町の中河内で6m55cmを記録しました。滋賀県で一番だったか二番だったかは別として、数値的事実だけは付け加えておかないと。



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 さて、これが菊水飴です。中を開けますと、表面が泡に覆われています。商品の説明には「水飴だから泡がある」としか書いていません。

 子供の頃、よく遊んだ友達の家では、絹巻きという和菓子を焼いていました。絹巻きの芯が水飴でしたので、私は毎日のように水飴作りを見ていました。
 水飴の原材料はきわめて濃度の濃い砂糖水です。それを大きなバケツの中に入れて棒でかき回して作ります。時間をかけてかき回し続けるうちに、砂糖水のなかに空気が溶け込み、溶け込んだ泡で砂糖水が白く変化していきます。
 絹巻きの芯に当たる水飴の白さは空気を溶け込ませた色です。

 遠い子供の頃の記憶を呼び出して、「水飴だから泡があるというのは、ああ、あのことか」と私は納得しました。

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 菊水飴の歴史は350年余とされています。「余」とつけられているのは、少なくとも350年は経ているけれど正確な始まりは不詳ということでしょう。
 ひとつには北国街道自体の古さが根拠になります。もうひとつは、福井二代目城主の松平光通の腹痛がこの飴で治ったとの逸話が伝えられています。これを踏まえての350年余だと思われます。松平光通が城主に君臨した期間は1653年~74年です。

 ただ、その当時は菊水飴という商品名はどこにもなくて、店の地名そのままに坂口飴と称されていました。そのほうが旅人の記憶に残りやすかったでしょう。北国街道の坂口に来たら飴を買うと覚えていられます。
 元禄年間に京都醍醐三宝院の宮が、この飴を称えて和歌を詠み、「黄金のいろの きくすいのあめ」という形容を用いました。明治18年、この和歌にちなんで「菊水飴」を登録商標にしたそうです。

 いまの時代に変わってからは、数々の展示会における金賞獲得が菊水飴の名誉を維持しています。店の中の受賞盾を数えたら10枚ありました。




 菊水飴の原材料名は、麦芽飴、水飴(でん粉飴)となっていて、砂糖や添加物は一切なしだとのことです。
 つまり、菊水飴の甘さは麦芽糖から生まれています。

 麦芽糖と聞いてまず思い出すのは、ネスレ・ミロでしょうか、それともビールやウイスキーのモルトでしょうか。菊水飴を付属の棒にからませて口に運びますと、甘味というよりは風味としかたとえようのない甘さです。「へえ、このなんとも言いがたい甘さが分解されて酒に変わるのか」と思いました。

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 ただし、麦芽糖は、糖質制限ダイエットからみれば大敵です。血糖を急上昇させやすい代表格といわれています。ネットを調べますと、化学修飾を施した還元麦芽糖というのは、人工甘味料として逆に血糖を上げにくいそうです。しかし、菊水飴のように天然丸のままの麦芽糖はブドウ糖よりも血糖上昇作用が強いといわれています。

 糖質制限ダイエット中の私がどうして菊水飴を買ったのか。それもわざわざ余呉へ寄り道して。
 ということになるのですが、麦芽糖がそんなに血糖を上げやすい糖類だとは知らなかったからです。

 それに、糖質制限をやってみて痛感しました。食のバラエティーが糖質によって支えられていることを。
 糖質制限は、私の場合、食べてみたいものの制限、すなわち好奇心の制限でもあります。私から好奇心をとったら何も残りません。70kgあった体重が64kg台まで落ちたことだし、たまには甘いものも食べようかという気になりました。

 余呉は坂口なる麦芽糖水飴が、北国街道をゆく旅人たちの疲れを癒し、心を和ませました。峠の難所を越える前、あるいは越えた後に、菊水飴のほのかな甘さに幸せをおぼえたことでしょう。
 糖質制限ダイエットを長旅にたとえれば、このあたりで菊水飴を口にするのも、これまたいい旅のコツというもんじゃないでしょうか。

 あ、菊水飴本舗店主平野さんから再三再四頼まれたことを最後にもう一度繰り返します。
 余呉は滋賀県一の豪雪地ではありません。一番は伊吹です。

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