2014-09-28

聖太郎の運動会 年長の子供たちが語りかけてきたもの

IMG_0216 年長の子供たちの踊り。「嵐」の「GUTS」で踊った。

 杉の子こども園の運動会。
 聖太郎の話もさながら、年長の子供たちの姿が今年もジンときました。
 まずはその話を聞いていただけますでしょうか。


 保育園に3年間通わせるというのは、親にとっても子供にとっても、それはまあ大変なことです。
 とくにママがたいへんですね。

 先週、聖太郎がうちに来たとき、急に耳の後ろが脹れ上がりました。聖太郎のママはむしろおたふく風邪であってもらいたいと望みました。どうせ一度はかかるものなら長い休みをとっているうちにやってしまってくれと思ったそうです。結局おたふく風邪ではなかったのですが、子供の病気で休めば業務の面でも心理の面でも大きな負担になるってことですよね。

 あのとき、同じことを言ったのが、私の後を引き継いで北陸三県を担当している美女です。
 聖太郎君がおたふく風邪ならママが助かったのにと思いましたよーーーそう言っていました。

 彼女にも聖太郎と同い年の子供があって、やはり保育園に通わせています。医薬品の営業には常に売り上げ目標が伴いますから、休めば休んだだけ自分が苦しくなります。したがって、子供が熱を出した朝でも、少しくらいの発熱ならば病児保育所に放り込んできます。宿泊を伴う会議だってあります。10月にはその会議日程が旦那の会社と重なってしまいました。そういうときはどうするのか尋ねたら、子供を鳥取の実家に預けに行くのだといいます。

 いやいや、別にこの二人が特別にたいへんな目をしているのではありません。この二人以上に苦労しているママもいます。たとえば、自分が休めば勤務シフトが急に狂って職場にも同僚にも大きな迷惑がかかるといった仕事もあるわけですよね。育児と仕事の両立を綱渡り的にこなしているママが世の中全体ではどれだけいることでしょうか。

 安倍内閣は「女性が輝く日本社会」をスローガンに掲げています。しかし、この秋の臨時国会に出す予定だった女性登用を促す新法を、国会開催直前になって見送りました。この新法は、従業員300人以上の企業に対して女性管理職の比率といった数値目標の設定を義務づける目的でした。これに対して経営者側は、国から強要されるのはおかしいと強固な抵抗に出ました。戦争しやすい国作りにはあれだけ強引だった安倍内閣ですが、女性の働きやすい国作りにはそこまでの執念がないのか、経営者たちの言い分に屈しました。

 たしかに、経営者側の言い分はもっともで、国から口出しされるような問題ではないと私も思います。しかし、国が考えている程度の中身はとっくにクリアーしているという企業は皆無に近く、国が口出ししたくなるまでの実態を否定できません。その実態を本気で改善するつもりがないから社長さん達は義務化に反発するのでしょう。そんな日本社会に対して、世界経済フォーラムの「グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート」は、女性の社会進出度世界135国中101位という評価をはじき出しています。

 とにかく、まあ、少子高齢化が目に見えて明らかだというのに、子育ての権利がいっこうに社会制度化されない日本社会。その不備に手を焼きながらも、聖太郎のママや北陸の美女をはじめとする多くのママが、保育園に助けられつつ生活を維持しています。それをずいぶん目の当たりにしてきました。

 杉の子こども園の運動会を見ながら、親と子と保育園、何層にも重なった忍耐のミルフィーユがあってこそ、このイベントが可能になっているんだなと思いました。考えすぎかもしれない、感動したいがための感受性過剰かもしれないと自分を抑制してはみるものの、やっぱりそういう風にこの運動会を尊重したいという気持ちのほうが勝りました。

 運動会は盛り上がっていました。いや、盛り上がらなければおかしい。友達もみんないます。パパもママもいます。保育園の先生たちがいます。同じ時間を過ごしています。こんな嬉しいことはめったにない。いまこの機会に心をひとつにし、そしてはじける理由を持ち合わせた者どうしです。

 そして、年長の子供たちです。
 何がどうあれ、一日の長い時間を保育園で過ごしながら、子供たちは年を追ってたくましくなっていきます。年長さんがそんな成長ぶりをいちばんはっきりした形で教えてくれます。

 年長さんは、踊りの腕がビシッとまっすぐに伸びるといった身体能力の発達だけではなくて、踊らない子が一人としていないといった精神的成長も著しいわけです。走ること、踊ること、歌うこと、年長さんたちは、本当に真剣にやっています。
 子供たちが一生懸命というだけでつい胸がジンとするものですが、それに加えて、よく3年間頑張ったなと思うにつけ、もうおじいちゃんはあきません。なんともいえない感情がこみあげて来まして、ひとりひとりの表情を望遠側でズームアップできません。もしアップにしたら、デジカメの液晶を見ながら泣いてしまいそうです。

 この子たちのこの元気な姿を支えてきた忍耐。子供自身の忍耐、ママたちの忍耐、保育園の忍耐。このおじいちゃんは忍耐が不得手だけに、もう感動しまくりました。

 杉の子こども園は年長の子供たちひとりひとりに優勝カップを用意していました。その優勝カップが運動会のフィナーレです。
 年中や年少が退いたグラウンド。年長さんたちが横いっぱいに広がって並ぶ。ゆずの「栄光への架け橋」が流れ始める。園長先生が、ひとりひとりに声をかけながら、優勝カップを手渡していきます。

 もらった子供から順々に笑顔に変わっていきます。グラウンドを囲む保護者席のママたちもニコニコしてます。このおじいちゃんだけが泣きそうになってます。
 子供たちにしても、ママにしても、べつにこれで終わりじゃないわけでね。ひとつの節目ではあっても通過地点です。小学校に上がれば学童保育という親子だっていっぱいいます。当事者たちなんですから、このおじいちゃんみたいな感傷に浸る暇もない。
 なにせ、この優勝カップ授与が終わったら、まずは保護者全員でテントを畳んだりの後片付けが待っていますし、運動会は12時までですから、ママ達はお昼の心配だってしなくてはなりません。目の前の出来事がまずたいへんなんであります。

 うちの妻お龍のほうを振り向いて何か言おうとしました。お龍も気持ちを言葉にできない私と同じです。どこか別のおばあちゃんもそばにいました。このおばあちゃんも同じに違いないと思って、「泣けますねえ」と告げました。

 とまあ、そんなことでして、聖太郎のビデオはうちに帰らなくてはアップロードできません。ここにあるパソコンでは性能が低すぎて、フルハイヴィジョンを再生すらできないんですから。まずは、年長さんの姿に出会ってどんな風にジンときたのか、そこをお伝えしました。

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